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柴田励司の人事の目

Indigo Blue メールマガジン

Vol.594 ”怒る”ということ

久しぶりに、“キレて”しまいました。とある電話終了後、机を叩き、壁を蹴るという

狼藉を働いてしまいました。さすがにCEO室の中からドン!という音がしたので一部の

社員が心配して“だいじょうぶですかー”と覗いてきました。いやいや恥ずかしい。

(手も痛い)

 

15年ほど前は、私はこの手のことをよくやってしまう残念な社長でした。当時の

あだ名が“瞬間湯沸かし器”。ひどいもんです。その後、あることをきっかけに深く

反省。立ち振る舞いを改めてきました。ずっと大丈夫だったのですが、超久々に

やってしまいました・・・。

 

外出後、CEO室に戻ったところ、壁についていた靴の跡がきれいになくなっていました。

誰が拭いてくれたか察しがついたので、その人のところに出向いて

“申し訳ありませんでしたー”とお詫びしました。(もうやりません。)

 

それにしても、なぜ人は怒るのでしょう。改めて考えてみました。

 

自分の思い通りにならないから。

自分のメンツが潰れた(と感じた)から。

侮辱された(と感じた)から。

 

かつて私が瞬間湯沸かしになっていたのは、これらの理由からだと思います。最近は

この手のことでは沸騰しません。人を思い通りにしようと考えること自体が不遜(ふそん)

ですし、そもそもメンツを潰そうとか侮辱しようとして発言する人はそんなにいるもの

ではありません。

 

言葉に対する内包(言葉から想起される概念)は人それぞれです。自分にとってはキツい

表現でも、ある人にしてみると日常的に使う言葉の範疇ということもあります。

そんなことで怒ってみてもしょうがないです。

 

仮にメンツを潰そう、侮辱しようと意図して発言されたとしても、それで怒ってしまうと、

ある意味で相手の思うツボ。むしろ、相手にそこまで思わせた自分の非を悔やむべきかと。

 

 

私が本当に怒りを覚えるのは、こんなことだと思いました。

 

自分を含め誰かが大事にしていること(人)がぞんざいに扱われたから。

気遣いに気づかず、自己中の発言を繰り返すから。

 

人が大事にしていることやヒトを粗末に扱うのはいけません。その人の気持ちを

ないがしろにしていることになります。その人のためを思っての発言や行為に

全く気づかず、自分の主張だけ繰り返す。これもいけません。その人のために・・・

という気持ちに泥を塗っています。

 

これらの人には目を覚ましてもらう必要があります。ですから、この手のシーンに

遭遇したときには自分を制御することなく怒ります。

 

ただし、今回の私のようにモノにあたってはいけません。モノには責任がありません。

その相手に直接やらないと意味がありません。電話を切って、その人を呼び出して

“怒る”のが適切なプロセスだったと思います。いつもはそうしてきているのですが、

今回の狼藉。まだまだ、修行が足りません。

 

修行が足りないと言えば、この“誰かが大事にしていること(人)をぞんざいに扱う”

、“気遣いに気づかず、自己中の発言をする”、気をつけているつもりではありますが、

私もやってしまうことがあります。

 

怒ってくれた方がどれだけありがたいか。すぐに自分の非を認識できます。

怒ることなく、飲み込まれてしまうとその時には気づきません。気づいたときには

時すでに遅し、ということもあります。思い出すだけでひやーっとします。

 

これは慢心、甘えから起こるものです。

 

私のようなポジションにいる方々へ。気をつけましょう。自分は何を言っても

(やっても)許されると心のどこかで思っていると、これをやってしまいますよ。

 

 

 

おまけー1:「天才」(石原慎太郎 著 幻冬舎)を読了。

田中角栄の一生を石原慎太郎さんが一人称で書いています。面白かったです。

かつて理解しなかった存在が,時を経て理解できる。同感します。

 

 

おまけー2:事情により、しばらく「禁酒」となりました。

 

 

おまけー3:Web版の「DRESS」。リニューアルして、ユニークユーザーが3倍に!嬉しー。

面白い記事が満載なのでぜひご覧ください。

 

https://p-dress.jp/