柴田励司の人事の目

Indigo Blue メールマガジン

Vol.609 「ちっぽけな優越感がする悪さ」

つい見てしまうCMです。

 

「セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃう。

どっちかやわらかければだいじょうぶ  やわらかいこころをもちましょう」

 

相田みつをさんの詩を引用したACジャパンの全国キャンペーンです。

 

この詩は「そういうわたしはいつもセトモノ」と終えています。

 

そうなのです。誰もがちょっとしたことでセトモノになりがちです。

特にそれなりの地位にある人は要注意。“自分はこれだけ頑張っているのだから「特別対応」

してもらって当然だ・・・というおごりが生まれがちです。名の知れた企業の幹部、

役人、オーナー企業の社長、政治家、芸能人でこの手の失敗で世をにぎわした例は

たくさんあります。

 

セトモノの矛先になりがちなのが、レストランのマネージャー、タクシーの乗務員、

駅員、コールセンターのスタッフ。ちっぽけな優越感を充たすために。自分の心が

する悪さです。自省/自制しませんと。

 

職場の中にもこうしたぶつかり合いがあります。どの職場にもあるでしょう。職場だと

すぐさま“ガチャン!”とはなりませんが、角が立つやりとりを繰り広げたり、去り際に

毒のある言葉を吐いたり、さらには無視したり・・・。(全ての対応をメールにするのは

“無視”と同義です。)これらは、すべて自分の心がしてしまう悪さです。

 

部下同士がこういう状態になると、心ある上司はたいへんです。なんとか改善したい

ので仲裁しようとします。まずは、双方それぞれの話をじっくり聞きます。食事や

飲みの時間を使うこともあるでしょう。

 

客観的に聞けば聞くほど、双方それなりの主張も理解できますし、なぜ、好戦的な

態度なのかもわかります。しかし、多くの場合、上から見るとどっちもどっちなのです。

そういうと、双方から“それでも向こうの方が問題だ!”となります。これは治まり

ません。やれやれ。

 

こうした問題を抱えていない組織はないと思います。この手のことは組織の上の階層

になればなるほど“頑固な問題”として顕在化し、継続します。継続すれはするほど良

いことがありません。組織の連携ミス、キーパーソンの離脱、内部告発・・・、

顧客のことよりも社内政治が優先となり、業績は低迷します。まさに敵は内部にあり、

という状態になります。

 

心ある上司であればあるほど自分の時間のかなりの割合を使って、この手の問題を

解決しようとします。しかし、これはあくまでも当事者の心の問題なので、上司が

できることには限界があります。上司の顔を立てて、その場はとりつくろったとしても、

当事者の心のもちようが変わらない限り、変わりません。

 

心のもちようを変えるには本人が自分の内面を見つめる機会が必要です。周囲は

そのための機会を設けるしかできない。そんな思いから開発したのが人間関係を

改善し、組織のパフォーマンスを最大化させる自分の小さな箱から脱出する

「箱のセミナー」です。

 

http://www.indigoblue.co.jp/program/chemistry_change.html

 

これは一つの会社の中でやるよりも、誰も知らない中でやった方がいいですね。

特に執行役員以上の方であればなおさらです。社内だとそれなりの姿(威厳)を

保とうとして邪心が入りますので。

 

“セトモノ”状態になっている人に“このセミナーにいきなさい”というのは逆効果です。

“なんで自分が?(向こうじゃないの?)”という反応になること間違いなしです。

なので、部長以上全員とか、課長以上全員を対象として、5~6社で共同開催するような

カタチを採ることをおススメします。

 

思うに、私はコンサルティング会社の部門長時代に“セトモノ”行動をたくさんとって

いました。当時の社長にはたいへんご迷惑をおかけしたと反省しきりです。

最近、因果応報か・・・と思います。やれやれ(みんな、うまくやってほしい。)

 

 

おまけー1:「HEROES REBORN/ヒーローズ・リボーン」を観ています。

HEROES」シリーズは大好きだったので、Seaon4までのDVDは全部持っています。

しかし、REBORNは“つじつま”を無理やり合わせてる感が満載。うーん。 

アメリカのドラマは“聞いてはいけない”点が多いですね。(ターミネーター

新起動(ジェニシス)の初代ターミネーターを送ったのは誰とか、X-menのプロフェッサーが

娘時代のジーンに会いに行ったときに立っているのはなぜか? とか)

 

 

おまけー2:とある宿の大浴場。脱衣所に服がないのに湯船に入っている人あり。うむむ、

これで自分が脱いだら、自分の服が消えるかも・・・と悩んだ末に入浴。そのヒトよりも

先に出ればいいと思ったところ、自分が入った直後にそのヒトが出てしまいました。ピンチ! 

脱衣所から“あ!”という声がしたので、慌てて湯からあがってみると、

私のスリッパが消えていました。(服は無事でした。どうやって出ていったのだろう?)

 

 

Vol.608 入社1年目の仕事の流儀

先週金曜日に入社2年目の若者たち16名に会いました。大和書房さん主催のイベントです。

場所はスルガ銀行さんが六本木のミッドタウンに展開する「d-labo」。ここはDRESSの部活

でも活用させていただいている素敵な“大人の隠れ家”的イベントスペースです。

テーマは「入社1年目で困ったこと」。社会人になって何に困ったか。率直な意見交換の

場でした。詳細はこちらに。

 

http://www.indigoblue.co.jp/career-talk.html

 

6月の声を聞き、大企業では新卒採用の仕上げにかかっています。この「新卒採用

(学生からすると就活)」には学生たちも企業も相当のエネルギーと時間を割いています。

 

しかし、大事なことは入社することではなく、入社した後にいかに社会人として自らを

成長させ、結果としてその会社に、そして、世の中にどれだけ貢献できるかです。

さらには自分の人生をいかに充実させるか、ではないでしょうか。

 

現実離れした“新卒採用”イベントに踊らされたまま社会人1年目を迎え、

“聞いてた話と違う”と戸惑いながらも、毎日誰かの指示をこなすことを繰り返し、

気づけば30代“。なにしてんだ。自分?”という若者、“わかってもらえていない”

として、せっかく入社した会社を簡単に辞めてしまう若者。

さらには自分のキャパシティをはるかに超える仕事に溺れて倒れる若者。

 

こういう若者たちの役に立ちたい。社会人になってからの3年間をどう過ごすかで、

その後の社会人人生が決まります。たまたま良い3年を過ごした人がいる一方で、

それを知る機会に遭遇せず空回りしてしまう人がいます。空回りの人の方が

圧倒的に多いのが現実です。

 

知っておくといい「流儀」があります。それを伝えたい。

 

大和書房のHさんが私のこの想いに火をつけてくれました。

 

今年は本の出版をしないつもりでした。ここ数年、毎年1冊のペースで出版を続けて

きており、今年もいくつかの出版社さんからご依頼いただいていたのですが、

全て“業務多忙”を理由にお断りしておりました。が、社会人4年目のHさんの

熱意に負けました。10月に「入社1年目の仕事の流儀」という本を出版することになりました。

 

以下、「はじめに」からの抜粋です。

 

社会人になって最初の3年をどう過ごすか。とりわけ最初の1年をどう過ごすか。

これがその後の40年に大きな影響を与えます。学生時代にどんなに活躍していたとしても、

その延長線上に社会人としての成功があるわけではありません。社会人として活躍するため

の流儀を知らないと、“どこに入社しても、こんなはずじゃなかった。この会社は自分の

ことをわかっていない!”として転職を繰り返すことになります。逆に、どんなに地味な

学生時代だったとしても問題ありません。社会人として成長する流儀をおさえておけば、

社会人人生がこれまでとは異なる展開になります。

 

私は社会人1年目をホテルの現場で過ごしました。主としてやっていたのは宴会場の

ウエイター業務です。休みは不規則。毎日出勤時間が異なり、残業も当たり前。月平均

70時間程度残業していました。朝5時出勤が命じられたときには、前日から泊まり込みに

なります。土日は昼、夜と食事時に結婚披露宴を担当していたので、一日中、食事を

とることなく働いていました。労働環境的にはかなり厳しい状況でした。

 

しかし、この1年の経験がその後の社会人人生に大いに活きています。ホテルという

非日常的な空間で過ごす時間に高いおカネを払っていらっしゃるゲストへの接し方、

ほんのちょっとした気の緩みがクレームにつながる緊張感、はたまた学歴、年齢、

雇用形態が様々な集団の中での動き方。毎日が刺激的でした。特に、宴会場を短い時間で

模様替えして次の宴会に備えることが頻発していたので、段取りの大切さを心底学びました。

仕事は段取りで決まるもの、と実感しました。これがその後の糧となりました。

 

その後、社会人2年目の11ヶ月目から縁あってオランダの日本大使館で働くことになります。

これが人生初のデスクワークでした。ここで私が作成した資料、文章に当時の駐オランダ

公使に徹底的に赤ペンをいれてもらったのが今につながっています。

 

どのような経験をしたか。誰と働いたか。この2つの要素がヒトの成長を左右します。

しかし、どんな経験ができるか、誰と働けるか、いずれも自分の思う通りにはなりません。

周囲の先輩、上司が“こいつにやらせよう”と思ってくれないと始まりません。

私はそういう意味で大変ラッキーでした。やり方が目茶目茶な方もいらっしゃいましたが、

ホテルや大使館で多くの先輩・上司たちは、私にいろいろな経験をさせてくれました。

 

要は経験です。入社1年目の仕事の流儀として目指すべきことは「こいつを育てたい!」

と思わせる存在になることです。それに尽きます。“こいつを育てたい!”と

思うといろいろな機会に遭遇することになります。それが、あなたを成長させるのです。

 

では、どうすれば“こいつを育てたい!”と思われるようになるか・・・。

 

続きは本文の中で。発売日が確定しましたら、お知らせしますね。

 

 

 

おまけー1:イベントに参加したある男性。「困ったことは何か?」に対して、

先輩が「元ヤンキーだった」。

それを知った経緯を聞きたかったです。

 

おまけー2:家の近くのお花屋さんのご主人に似ているなー、と常々思っていた

Mさんとの会食。自宅近くのレストランを予約・「***にあるお花屋さんを覗いてごらん。

何か発見があるかも。」とメッセージを入れたところ、何が仕掛けられているのかと

戦々恐々で足を踏み入れ、ご主人と名刺交換してきたとのこと。

 

似た顔の二人が顔を合わせたらどんな気分になるかを知りたかっただけなのですが。

 

おまけー3:港区長選挙。現職者は3期12年もやっている方。さすがにこれ以上は

やりすぎだと思います。他の2人の候補者の公約は“うけ狙い”中心。どうしたものか。

アメリカ大統領選もどっちに入れたものかと悩む人が多いでしょう。

キャプテンアメリカ役の俳優が立候補したら当選するような気がします。

 

 

 

Vol.607  ”お代官”管理職対策のススメ

静かに賢く老いるということは満ちてくつろいだ願わしい境地だ(尾崎喜八『春愁』より)。

 

本当にそう思います。最近、30代前半の新進気鋭の経営者にお会いすることが多いのですが、

彼らが若さゆえに見えていないことを話すときにそう感じます。昔の自分は違いました。

こうした若者たちに“嫉妬”して、競り合うような発言をしていたと思います。今は違います。

この若者が首尾よく育つために、役に立ちそうなアドバイスをしたい、自分がこの若者の

ために何ができるか、そう考えられるようになりました。

 

こう書きますとなんだか枯れているみたいですが、そんなことはありません。自分史上、

最高の熱量を感じながら毎日過ごしています。しかし、自分と誰かを比較して熱くなったり、

優越感を感じたりということがなくなりました。とても熱いが静か。こういう心境です。

 

一方で、私と同世代以上で良くない“老い方”をしている人が結構いますね。特に誰もが

知っているような大企業で見かけます。

 

‐自分の存在を強くアピールする

‐それでいて実務はできない

‐手も動かない

‐若い人間や業者の時間を使う

 

これは“老害”です。

 

この中で特に“手が動かない”は深刻です。“手が動かない”とは自分で文章を書いたり、

資料をまとめることができないという意味です。こうなってしまうと「使い道」がありません。

会社側もその処遇に困りますが、本人も本当は辛いはずです。

 

自分のプライドを守りたいので何かと口だけは挟む。自分が真剣に考えていることを

認めてもらいたいが故に、会議の場で流れに反する発言をする。ちゃぶ台をひっくり返す。

忙しい若者や業者を“拘束”する・・・。

 

かつてアメリカ企業にいたときには、上になればなるほど、質的に高い仕事をたくさん

していました。だから報酬が高いというロジックでした。昔の日本企業は上になればなるほど、

仕事をしない。お代官みたいな管理職が多かったです。これが日本の大企業が失速した

主要因だと思います。

 

お代官管理職とは「提案を持ってこい。チェックしてやる。」という存在です。

ダメだしはしますが、創発的なアドバイスや育成支援はしません。

もちろん、“手が動きません”。

 

2016年の今でも一部の日本企業の50代の上級管理職に“お代官”が散見されることに驚きます。

歴史が長く、仕組みで儲かっている会社だとお代官管理職でも十分に生きていけます。

だからです。しかし、これを看過していると会社としてもちません。

 

今後大いなる変化が間違いなく起きます。グローバリゼーションはこれまでとは次元が

違う状況になるはずです。また、多くの方が指摘しているようにAIの発達はそれこそ、

従来の仕事のあり方を変えます。しかも、これは10年以内にそうなると思います。

 

お代官中高年を大量に抱えていては身動きがとれなくなります。以下の「ポータブルスキル」

(どの会社であっても、どの仕事であっても有用なスキル)を徹底的に鍛えることを

おススメします。

 

・議論をまとめ、納得させるファシリテーションスキル

・情報を整理し構造化するスキル

・聞き手を惹き込むプレゼンテーション

・わかりやすい文章・資料をつくるスキル

・相手の表情を読み、表情で語るスキル

 

この中で「わかりやすい文章・資料をつくる」は基本中の基本です。しかし、PCスキルが

お粗末でできないというレベルの人もいます。これはかなり重症。万が一、そんな人が

まだいるようであれば、大至急なんとかしないと大変な重荷になりますよ。

 

 

おまけー1:紫田シリーズその2です。

 

“紫田じゃなくて、柴田だよ”

“アメリカが長いので・・・” (この切り返し、使える)

 

 

おまけー2:「尾崎喜八」の冒頭の詩ですが、男性合唱経験者であればすぐにピンときますね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=uBg9ApqDDFo

 

 

おまけー3:ここ数日「かつら」という言葉をよく目にします。造園「かつら」、

桂さん、とんかつ「かつら」・・・

 

これは何かのメッセージか?

 

 

Vol.606 腹立たしい部下がいる方へ

リーダーのフラストレーションの大半はヒトが原因です。

 

・お願いした仕事のクオリティが低い

・遅い

・抜け漏れがある

・態度が悪い

・報告がない など等

 

みなさんの周りにも思い当たる人がいませんか? お困りではありませんか?

 

例えば、経営会議で必要な資料のとりまとめをお願いしたとします。

発注側は当然その資料を確認した上で会議に臨みたいと思っています。

しかし、担当はそのイメージを持っていません。その会議に間に合えばいいという認識です。

しかも、資料を提出したら自分の仕事は終わり、と思っています。

 

更には作成した資料の内容で発注者から追って質問があるという認識がありません。

朝一番の経営会議の資料を前日の夜にメールで送りつけて終わりです。

 

この手のヒトは途中で確認作業をしませんので、期待した内容の資料であることは

まずありません。おそらく凡ミス系の間違いもあります。しかし、もはや経営会議当日。

その資料を使わざるを得ません。経営会議の席上、あなたは四苦八苦することになる・・・

 

こういうことが繰り返されるとさすがにどんな温厚なリーダーでもキレます。

感情的にもなります。厳重注意をするでしょう。それでもそのヒトの仕事ぶりが

変わらないともはや仕事をお願いできなくなります。そうなると重荷が増えるのは自分です。

 

イメージがわいていないヒトに、ああやれ、こうやれ、と言っても無理でしょう。

その“やれ”の意味するところがわかっていません。期待する仕事ぶりにはなりません。

 

“資料は経営会議の前日の昼までに仕上げてほしい”とリクエストを出したとします。

しかし、途中で摺合せをしていないと期待外れのものが出てくる可能性があります。

その日の午後に提出してもらった資料の修正・レビューをやろうとしても、

当の本人が外出予定をいれていたりします。

 

納期、その後の時間の使い方、作業途中の確認・・・、こうしたことをこと細かく

指示・確認しないといけなくなります。毎回これをやるのではたまりません。

 

まずは、自分が持っているイメージをそのヒトにも感じてもらうこと。ここに注力しましょう。

 

そもそも、この手の指示をしないといけない対象者は仕事に対する姿勢や時間の使い方が

自分とは全く異なります。常日頃から腹立たしく思う存在のはずです。そうなると

日常的なコミュニケーションがますます不足します。イメージを共有するどころの

話ではなくなっています。

 

そうであっても、頑張って自分がもっているイメージを感じてもらうための時間を

創りましょう。なぜ、納期は当日ではなく前日なのか、なぜ、途中で摺合せが必要なのか、

なぜ、提出した後に修正する可能性があるのか・・・

 

これらを注意でなく諭します。おそらく対象者はやってもやっても怒られるとして

構えています。構えている相手は聞く領域が狭くなっていますので、

あなたのメッセージを受け止めきれません。相手の緊張を解くこと。まずはここからです。

 

これを何度かやってもダメな人は本当にその仕事に向いていません。別の場所で

別の仕事に就いてもらった方が本人にとってもいいはずです。そこは躊躇せずに伝えましょう。

 

こういうことをやるのがヒトをマネジメントするリーダーの仕事です。

(正直、辛い仕事です。だからリーダーは報酬が高いのです。報酬も一般とそう変わらない

場合には給与決定者が“わかっていない”ので、早々に退散しましょう。)

 

 

おまけー1:ホテル関係者の皆様へ:ホテルのルームサービスでワゴンを部屋にいれて

サインだけ求めて立ち去るホテルスタッフがいますが、これはルームサービスを頼む

ゲストのイメージを共有しておりません。

 

“お召し上がりの用意を致しましょうか?”と一言、声をかけられるように指導いただきたく。

 

 

おまけー2:紫田様、と書かれる率が高いです。ますます高くなってきた感じがします。

“紫じゃなくて下に木”というと、見たことがない漢字がでてきます。

いい説明の仕方ないでしょうか?

 

おまけー3:“サンビャクエンです” と800円を言い間違えるスタッフがいるコンビニがあります。

180円を“ヒャクサンジュウエン”と言っているので、3と8を間違えて覚えているのだと思います。

毎回、黙って正しい金額を出していますが、お店的にはレジの金額が合わなくなってないかなー。

 

 

 

Vol.605 それなりの年齢になる前に

長所は増えないが、短所は増える。

 

若いうちは、長所を伸ばして短所を補うのでよいが、それなりの年齢になってきたら、

短所を改善すべく意識すべし。短所を放置しておくと加齢と共に、その短所が悪さを

します。いい年して「短所による悪さ」を指摘されるのはみっともないです。

 

実際には指摘されないことの方が多いものです。周囲は気づいていても“それなりの

年齢”の人には言いません。しかも、それなりのポジションになっていたりすると、

ますます言いません。だから気づかない。これは非常に恥ずかしいことだと思います。

 

私は54歳。“それなりの年齢”であることは間違いありません。最近、自分の短所・

弱点が浮き彫りになることがあり、反省かつ改善努力中です。

 

「それなりの年齢」については諸説あると思うのですが、私は「40歳」だと思っています。

これは論語の「四十にして惑わず」と(感覚的なことなのですが)「39歳」という響きと

「40歳」という音の響きが大きく違うように感じるからです。「40歳」の方がカッコいい

感じがします。大人の感じがします。

 

昔の40歳と比べると今の40歳は若いですね。見た目的にも行動的にも全然落ち着いて

いないと思います。そうであっても、40歳はやはり節目の年だと思います。近い将来、

定年が80歳になるでしょうから、そうなるとまさに「40歳」が折り返し地点になります。

 

自分の短所を意識するのは良いことです。但し、若いうちは短所を気にし過ぎるのは

良くありません。短所が気になって動けなくなります。考えるよりも動く。

若いうちはその方がよいと思います。失敗もあるでしょう。痛い思いをすることも

多いでしょうが、その方が成長につながります。

 

しかし、若さゆえ見逃してもらっていた短所も30歳を過ぎる頃から見逃されなくなって

きます。このころが一番注意を受けます。しかし、若さゆえ、その注意を素直に

聞けない人を散見します。特に20代のときに目立った活躍をした(と自分で思っている)

人にこの傾向があります。こういう人は要注意。小さなプライドが邪魔をしています。

 

なんど指摘しても変わらないので、次第に周りは何も言わなくなります。何も言わない

代わりに仕事をお願いしなくなります。こうなってしまうと手遅れです。ここでワンアウト。

 

そうなっても指摘してくれる人がいます。時間をとって指摘してくれる人がいます。

そういう人の言葉は真摯に受け止めた方がいいです。“うざい”と思ったり、

その人から逃げたりするとツーアウト。

 

さらに自分が評価されないのは周囲が悪いと他責になって転職したり、他人を

おとしめる言動をするようになったらスリーアウトです。完全にアウトになる前に

素直になりましょう。

 

40歳を超えるといよいよ周囲が言わなくなってきます。そうなったら自分のことは

自分で律していかないといけません。その方が大変です。

 

長所は経験次第でより強くなりますが、その数は増えないことも実感します。だからこそ、

自分にない強みをもっている人と一緒に仕事をした方がよいのです。

但し、「短所が悪さ」をしているとヒトが離れます。要注意です。

 

 

おまけー1:先日、新幹線から降りる際に荷物が通路にひっかかかって時間を要して

いましたら、後ろから、“ちっ! とろとろすんなっ!。”という声。迷惑をかけていると

思うものの、その言いようにさすがにムッとしました。見るといかにも遊び人風の50歳と

おぼしき男性。

 

しかし、ここで言い争いをすると電車が降りられなくなるので我慢。“申し訳ないですね!”

と目から光線を出すにとどめました。その後、目的地の知人の披露宴会場に出向いたところ、

なんとその男もそこに!(あぶない、あぶない。暴れていなくてよかった。

しかし、こういう時にムッとするのが短所。修行が足りない。)

 

 

おまけー2:火曜日に木場にあるレインボータウンFMの某番組にゲスト出演しました。

出演前に少し打ち合わせをして生放送。終了後はすぐに帰社。なかなかおもしろかったです。

有史以来、こんなに多くの人が“ラジオ”(スマホ)を持ち歩いている時代はありません。

なにかできるはず。

 

 

おまけー3:セブンイレブンで700円以上買ったらひけるくじ。

当たりの商品が買った商品と同じでした。

 

 

Vol.604 トランプ現象

トランプ現象を見て思います。アメリカはエリート受難の時代に入ったと。

 

誰かにとっての合理は誰かにとっての不合理です。利害関係者各々が自分の「理」を主張し、

一切の妥協をしないと、落としどころのない泥沼の争いに陥ります。だからこそ、

建設的な妥協案を共に探すべき。それが民度の高い知識人に求められる態度である。

エリートはそう教えられます。

 

自分の利ばかりを主張するのは民度が低い。そうではなく、関係者全員が共に泣き、

共に何かを得て、最終的には異なる利害を有する間であっても共存を目指す。

競争ではなく共創。エリートはこれを実現すべく知恵を絞り、汗をかこうとします。

(ちなみに、この考え方をParadox thinkingと言います。)

 

しかし、トランプを支持するアメリカの大衆は違います。他人のことなんか構って

いられない。理不尽、民度が低いと言われようが関係ない。そんなことを気にしている

余裕はない。とにかく自分の「理」を主張したい。

 

一方的に主張をする人たちの前にして、全ての利害関係者を意識するやり方は

通用しません。泣く子を前にして、やることはとにかく泣く子をあやすこと。

それだけです。そこにカッコよさは要りません。とにかく泣き止ませたら「○」です。

そうでなければ、いかに素晴らしい言葉やアプローチでも「×」。

 

こうなってしまうと、エリートが四方八方治まるような良い提案をしても聞く耳を持ちません。

自分のことしか関心がありませんから。そうなるとエリート的アプローチでは太刀打ちできません。

 

「この紋所が目に入らぬか。ここにおわす御方を、どなたと心得る。こちらにおわすは、

先の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ・・・」。水戸黄門の放送終了5分前の決めの

シーンです。ところが、相手が(紋所?副将軍ってなんだよ)という民度だと、決めの

ポーズをとっている3人をめった切りにしておしまいになるはずです。

トランプの攻撃的な主張に賛同する大衆を見ているとこんな感じなのかな、と思います。

 

日本はここまで「不満・不安」が蓄積されてはいないと思いますが、今後は予断を許さない

状況だと思います。歴史を紐解くと、どの時代でも不平不満が高まると「民衆の暴動」が

起きています。少し前までは暴動というと「暴力的行為を伴うデモ」でしたが、

今はそれだけではありません。暴動の手段も多様化しました。そう考えるとSEALDsの活動や、

「保育園落ちた。日本死ね。「(それを言っているのは)私だ」という動き、はたまた

SNS上で繰り広げられる有名人、芸能人叩き・・・。

 

もしかすると、政権与党のみなさんは昔の暴動のイメージがあるので、“まだ大丈夫”だと

思っているかもしれませんが、すでに「民衆による暴動」は起きていると考えた方がよいと

思います。かなり危うい状態だと思います。

 

不満のホットスポットは「ママさん社員とその周辺」「非正規雇用者」「偏差値の低い大学の

就活生」「引退後のアスリート」などなど。そろそろ待ったなしだと思います。

 

ちなみに、私が会長を務めるマードゥレクス社ではワーキングマザー先輩社員が

「ワーキングマザーとして働くときの心構え」について伝授する「ママさん会」なるものを

やっています。これは素晴らしい試みなので、Project Dressで取材してもらうことにしました。

記事になりましたらお知らせしますね。

 

 

おまけー1:“焼きそば”って本当は“炒めそば”じゃないのか、と真剣に議論する中国人たちと

遭遇。聞き耳をたてていたら、“ぺヤング”は何そばか、が正しいのかに議論が発展。

あれは何そばなんだろう?

 

 

おまけー2:いま発売中の雑誌THE 21で「原点の1冊、これからの1冊」のコーナーで

おススメの書籍を紹介しています。107Pです。

 

 

おまけー3:6月3日(金)の夜に社会人2年目限定のキャリアトークを特別開催します。

社会人2年目の方々同士の悩み共有と私のキャリアトークの場です。

お近くの2年目の方にお声がけください。

 

https://indigoblue.co.jp/career_talk/

 

 

Vol.603 「同一労働同一賃金」の本質

同一労働同一賃金」。この考え方に反対するヒトはいないでしょうが、どのように

“料理”していくのか・・・。興味ありますね。しかし、このテーマだけに着目して

対策を検討してしまうと、おかしな展開になります。

 

そもそも「同一賃金同一労働」が叫ばれているのは「“非正規”社員の報酬が低過ぎる」

ためです。これを放置しておくと、好ましくないことが起きます。(あえて“非正規”

という表現を使っています。)

 

例えば:

 

‐“非正規”社員として働いている人たち(世帯)の生活保護・教育問題が拡大し、

  社会保障費がさらに膨張する

 

‐“非正規”社員として働いている人たちの“不幸せ”感情・不満がさらに蔓延し、

  世情が荒れる、

 

‐ 隙間の時間を活用して働こうというインセンティブが働かないので、主婦層による経済活動が

  なされない(人口減少下の日本としては”人的資源“の有効活用がなされないのでGDP

  上がらない)

 

これは良くない。だからなんとかしよう、という文脈から出てきたのが「同一労働同一賃金

だと思います。

 

となると、議論の深堀りの対象は「“非正規”社員をめぐる構造的な問題」のはずです。

ここを取り違えると「そもそも同一労働とは?」といった解のない議論に落ちていきます。

(もう既に落ちているのが気になります。)

 

国の経済は、ヒトの力(労働力、知力、ネットワーク力等)のシグマ(総和)で決まります。

日本は人口が減少しているので、全員が生き生きと活動していかないと将来が危ういです。

衰退してしまいます。だからこそ、生活しやすい、成長しやすい、働きやすい、そういう

国づくりを国民全員で目指しましょう、という動きがあるわけです。

 

これが「1億総活躍社会構想」だと思います。このスローガンに大賛成です。

 

しかし、進め方に課題があります。1億総活躍社会にするための”詰将棋“が見えないのです。

見えるのは詰将棋の一つ一つの要素の話ばかり。「同一労働同一賃金」はまさにその一例です。

全体の詰将棋の指揮がないと、各々の要素の議論になり、要素間の対立・衝突が起き、

前に進まなくなります。

 

これは企業においても同じです。全体戦略とその指揮がないと、それぞれの現場がその場しのぎ

の戦術でなんとかしようとします。一時的にはなんとかなりますが、あくまでも“その場しのぎ”。

全体観がないので成長していきません。戦術間の矛盾が表面化し、思いがけない方向に展開します。

さらに、“しのぎ”の連続で組織は疲弊します。

 

しかし、現場は現場で見えていることを一生懸命やっています。ここを批判しても仕方ありません。

全体の方向性、他のバランス、スピード感、これらを調整しながら詰将棋を進めていく動きを

誰かが担わないといけません。企業の場合、それを司るのがトップマネジメントの役割です。

 

まずは全体の詰将棋を整理すること。詰将棋とは戦略目標(ゴール)を実現するための道筋です。

 

部門長と一緒に整理するのが理想的です。しかし、構造改革が急務の場合にはその限りでは

ありません。現場を指揮する部門長たちが従来の進め方の意識のプールに留まっているとしたら、

トップダウンでやり方を変えないと改革できません。

 

目先の現象に気を取られ過ぎると全体を見誤ります。全体観です。全体を司れるのはトップだけ。

見るに見かねて特定の詰将棋の要素を自らドライブし過ぎてしまうとバランスが崩れます。

ここは要注意。

 

さて、「同一労働同一賃金」問題。これは「“非正規”社員をめぐる構造問題」です。そもそも

“非正規”という呼称が良くないと思いませんか。ここでは便宜上“非正規”としていますが、

正規ではない、という表現を使う意識がおかしい。

 

 

この問題は深い問題です。そのうち持論を書きます。

 

「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」(「希望の国エクソダス 村上龍」。

この強烈なフレーズを思い出します。

 

 

おまけー1:岡部に向かう電車を待って東京駅フォームで立っていたところ、“Excuse me?” と

2回連続してアジア系の外人(しかもいずれも女性一人!)に声をかけられました。逆ナンではなく

、どの列車に乗ったらいいかという質問。アジア系の外人にしてみると話しかけやすいようです。

 

(そういえば、香港やシンガポールで日本人に英語で道を聞かれます。何人に見えるんだろう。)

 

 

おまけー2:昨日もタクシーに乗った瞬間に米国人の友人から着電。バカ話をした後で

タクシーの運転手さんから「チャイニーズ?」

 

「・・・、サイアニーズ」 と言いたかったのを我慢しました。